嗅覚・視覚・聴覚・味覚・触覚の五感のうち、医学の世界ではどうしても視覚にたよりがちです。今回は、見えないものを見る技法についてのお話しです。朝ドラ「らんまん」で主人公の友だち、波多野くんが叫んだ言葉を表題にしてみました。
1 物質をみわける
大昔、ギリシャのアリストテレスは世界が「土・水・空気・火」の4つですべてできていると考えていました。世界が何でできているか?目で見てわかるわけではないためこれは長いことなぞのままでした。ところがいろいろな物質を砕いたり、焼いたり、煮たり、溶かしたりをくりかえすとだんだんと不純物が取り除かれ、最後に単一の物質(たとえば金)が残ることが知られてきました。
こうやって根本的な物質(元素)が発見され、じみ~に化学実験をくりかえしてちょっとずつ物質の組成(たとえば水は酸素と水素でできている)がわかってきましたが、タンパク質やホルモンのような複雑な物質だとこのやり方ではむり!もう一工夫が必要でした。たとえば上図のビタミンDの化学構造式、目に見えないのにどうやってこんなことを調べられたのでしょうか?
そこでレントゲン(X線)が登場します。応用してX線解析装置や電子顕微鏡といった機械が作られ、目で見たかのように物質の複雑な構造がわかるようになったのです。そして様々な発明につながりました。いま私たちが乗っているクルマ、持っているスマホ、住んでいる家、飲んでいるクスリなど、すべてはこの成果をもとに始まっているのですよ。
2 昔と今
明治のはじめ、東京の医学校を卒業した新米の医師たちは、医療器具や薬などを買いそろえてから地元へ戻り、各地で医院を開きました。診察の時、まず顔色、目の結膜や舌を見て、脈をとり、おなかや手足を触り、体温を測ったり、聴診器で胸・腹部の音を聞きました。
まだレントゲンのない時代ですから、後は尿や便の色や調べるくらい、今のお医者さんだったら診断の手立てが少なすぎてたいへん心細い思いをするはずです。その分、当時は手を使った診察をいっしょうけんめいにやったのでしょう。
今と比べたらたいした薬もなく、栄養や休養に気を配り、患者のそばで見守りはげます。なにもできないことも多かったかもしれませんが、患者さんのそばにいる時間は長くとれたと思います。
現在、レントゲンは言うに及ばず、MRI,CT、超音波ほかたくさんの診断機器があり威力を発揮していますが、そのぶん昔ながらの診察がおろそかになっていないのか。目で見るのみならず、聞いて触ってみる。古臭いやり方のように見えて、それでしかわからないことがあると考えています。
3 触診でわかること
指先には微小なセンサーがたくさん集まっていて、これをフルに利用するといろいろなことがわかります。経験上温度差は0.1度単位で感じ取れますし、目で見ただけではわからないむくみやこわばりも触れるとわかります。こつはできるだけ軽く触ることで、これが初心者には難しいのです。
また動きの「質」を感じると、痛みの原因が骨、じん帯、筋のどれなのか、あるいは全然関係のない内臓や神経からの痛みなのかおおよその判断をつけることができます。これは整形外科の診療にはものすごく役に立ち、レントゲンを撮る前段階でほぼ痛みの原因が見当つくこともまれではありません。
レントゲンやCT/MRIなど現代医学の最新機器を使ってもわかりにくいことが実はたんとあります。触診の初心者のときにはわからなかったことが、慣れてくるにしたがってだんだんとわかるようになる。イメージでいうと脳の中の診断プログラムがどんどんバージョンアップされていく感じです。もともと人間の体には精細なセンサーが集まっているのですから利用しない手はありません。手を使うことでまさに「見えないものを見ている」感じになるのです。
4 触診が活かされる場面とは
診断機器のようにデータが分析・加工されると利用しやすくなりますが、そのぶん雑多な情報が無視され、ほんとうは重要な情報が見逃されることがあります。生の情報を扱う触診が得意な分野はこんな感じです。
- よくある症状の中からあぶなっかしいもの(ひょっとしたら深刻な病気かも?)をさがしだす。
- 想定外に対処する。生情報の強みがここに生かされます。頭で考えずに肌で感じるのですから。
- もやーとしたはっきりしない相談の診察。御用聞きが街の隅っこまで出歩く感じで、小さなヒントをみつけられるかもしれません。
- 山の上、電車・飛行機内などできることが限られる場面で、急場の処置をするとき効果を発揮します。