だれでも考え方に個人の性向(くせ)があって、その人の持ち味になっています。今回はそのなかで、いくつか気になるくせについて書いてみました。
1 既定路線で走ってしまう
今までこうやってきて、まちがったことはなかった。だから今回もうまくいくだろう。人はどうしてもこんなふうに考えがちです。たしかに十のうち九は、百のうち九十九はそうかもしれませんが、そうでないことも起こります。
マヤ文明の滅亡の理由はおどろきです。もともと雨の少ない土地だったのですが、貯水池などの工夫で農業を行い長らく繁栄してきました。ある年、雨が長く降らないときもマヤの人たちは(またなんとかなるだろう)と楽観視していました。ところが想像を上回る長期の干ばつが続き、農業システムが崩壊して住民が町から逃げ出した結果、マヤ文明は数年で滅んでしまったのです。
街角の小さなクリニックですが、はたからみると同じようなぎっくり腰や五十肩を相手にしているように見えるかもしれません。でもみんな違うし、なかにはむずかしい病気がまぎれこんでくることもあり、既定路線で仕事をしないように気を付けています(でもむずかしい・・・ときもありますね)。
2 聞きたいように聞いてしまう
あれ!そんなこと言ってないのに?いいえ、そう言ったよ!よくある口げんかですよね。じつは会話のとき、わたしたちは厳密にあいてのことばを聞いているわけではありません。言葉をいくつか拾って、そのときの状況とか過去の似たような会話体験を参照しながら記憶しています。だから、話し手の意図とはちがう形で相手が記憶するのは普通にあることです。
おどろくのは文章のようにしっかりと形が残るものであっても、読んだ人の解釈の仕方で意味が変わってしまうことです。ときには書いた人が言いたかったことを、読んだ人がまるっきり反対に解釈する場合もあり、文学的な内容であるほどあやふや、不確かになる気がします。
医療の世界も例外ではなく、「インフォームド・コンセント」(説明にもとづく合意)で、お医者さんと患者さんがきちんと理解しあえているかは?のケースがあるかもしれません。まずはわからないときに遠慮なく質問することで、少しでもギャップを縮めてみましょう。
3 自分基準がきつすぎる
医者の側から見るとそうとうに良くなっているのに、患者さんは不満げということはよくあります。こまかく聞いてみると、たしかに完ぺきでないかもしれない。でも、仕事も運動も問題なくできていて、薬を飲む必要もないとなればOKと考えてみてはいかがでしょうか。
中高年の人と話して、「治る=20歳のからだにもどる」と思っている人が意外と多いのです。だれでも年を取ればくたびれます。あちこちすり減ります。それでもきちんと手入れをすれば元気に暮らせます。あとは気持ちの問題、からだが完ぺきだから楽しいのではなく、じぶんのからだを自分なりにせいいっぱい使っているから楽しいのだと考えましょう。
完ぺきであることと、幸せは別です。ときにはおおらかであることも大切ですよ。
4 物事の道理をわきまえている(ほんとう?)
たしかに年をとれば経験が深まりますが、経験が足かせにもなることははじめにも書きました。わたしたちの判断力は、自分で考えているほど合理的ではないことが認知科学の研究からわかっています。自分があたりまえだと思っていることを、ほかの人はどうしてあたりまえと考えていないのかというと、だれにとってもあたりまえのことなどこの世に存在しないからです。
今はやりの「多様性」でも、多様性を認めるということは、「おまえの意見などくそっくらえだ!」という人も認めるということなのです。あなたの道理はほかの人の道理ではない。このことを自覚して、意見が異なるからコミュニケーションが必要なのだと思ってください。
自分がやらないと決めていることがほんとうはあなたに向いているかもしれません。たとえば料理や家事はからだもあたまも使います。トライしてみては?興味ないと思っていたことでも、やってみたら意外と肌に合うかも?なにごともゼロベースで、もっと心をひろく、柔らかく使ってみましょう。