わたしも還暦を過ぎたので、将来のことなどときどき考えることがあります。体があちこち痛み、走っても以前ほどは頑張れなくなってきました。今回は長生きと生きがいについて考えてみたいと思います。
1 医療は「生かす」のが目的
ヒポクラテスの誓いやらなんやら崇高な理念を学び巣立つ医者の卵たちも、いつのまにか俗世間の垢にまみれてくるのですが、「命がいちばん」というテーゼ(暗黙の約束事)だけはみな頭に叩き込まれています。それでいい場合が多いものの、もう少し深く(あるいはゆるく)考えてみては?とも思っています。
医療が進み、かなりの人たちが長生きできるようになりましたが、長生きができればできるほどいいのだろうか?という疑問も湧き上がってきました。もしも長生きだけを目標にするなら、少食を旨とし、運動そのほか体にかかるストレスを最小限にしてどちらかといえば不活発な毎日を送った方が長生きできることが分かっています。
でも、ほんとうにそれが私たちの目標でいいのでしょうか?
2 現場はフクザツ
骨や関節を専門にして医者をやってきましたが、若いころは町の救急病院で全科の宿直をしたり、三次救急の病院でも働きました。リハビリを専門として、けがや病気が落ち着いた後の患者さんの相談に携わることもありました。
そういう経験の中で「とりあえず助ける」だけでいいのかな?という疑問もわいてきました。夜中の患者さんはさまざまで、ぜんそくで苦しむ小さいお子さんから、自分をコントロールできず衝動に走り体を壊したり、事故にあった人までバラエティに富んでいました。けがの治療は終わったものの後遺症で全く身動きができず、何もできないことにイラついたり落ち込む人も見てきました。
くりかえし大きなケガにあいながらもあきらめずにレースに挑み続けたオートバイレーサー、長患いででまったく体を動かせないにもかかわらず周りの人や看護婦さん・医者に優しかった患者さんなど、いろいろな思い出があります。医者も人間ですから、毎日の仕事の中で元気づけられることもあれば、嫌な思いをすることもあります。立派な人を見て尊敬するし、この人は?と思うことだってあります。
多かれ少なかれほとんどのお医者さんが同じような経験をしているでしょう。立場や仕事内容で意見の濃淡はあるでしょう。でも多くのお医者さんたちが、長生きを目標にするのではなく、その人なりに充足して生きていくことが大切だと思っている。わたしはそういう印象を持っています。
3 「生かす」から「活かす」へ
年を取ってくるとあちこち故障が増えてきます。でも使えるところは使った方がいいです。患者さんたちに「あなたのからだは中古自動車と同じ。」「まだまだ使えるから、思い切り乗り回してください。」とお話ししています。
おぎゃあと生まれて成長期を過ぎたら、それ以降あなたのからだは中古品です。でもかけがえのない一品なので、手入れも怠らないけれど、使わなければもったいない!使って使って、使い倒す。あらゆる部品が擦り切れて、いよいよ自動車(からだ)の寿命が切れるとき、「よく使って、楽しかったなあ!」と思えるようになりたいものです。
だから長生きするかどうかは神様・お釈迦さまにおまかせして、自分が好きなことを、やりたいことをやってください。医療は人生の一側面に過ぎないのだから、影響されすぎないように気を付けましょう。
4 できることから始めよう
- ゆとりをもってー高名な画家さんの作品を見ると、年が進むにしたがって作風がどんどん自由になっている方が多いようです。筋道をしっかり歩むのでなく、どんどん離れていく。同じように、決まりごとから離れていき、自分なりの楽しさを見つけていきましょう。
- ちょっとやせがまんー少々の痛みなら涼しい顔で動く。くたびれても、自分よりくたびれた人がいたら助ける。見守ってあげる。いままでより一歩でもいから動く。お金に関係なく、なにか世の中の役に立つことを(ちょっとだけ)やってみる。
- 習慣化させるーたくさんの方を診て思うのは、若い時からやっていたことは年を取ってからも続けられるようです。歌や踊りであれ、釣りやゴルフであれ、習慣になったことなら年をとっても続けている方が多いです。直接体を動かすような趣味でなくとも、続けていれば体を使う用事が生まれてくるものです。なんでもいいので続けてみましょう。
- ボケなき徘徊―前号でも書いたように人間は探索する生き物です。いくつになっても外に出るから新しい発見があります。用事がなくても外に出て、あちこち見物に行きましょう。