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椅子がこわい

 

 この本をはじめて読んだのは20年前くらいで、まだクリニックを開業して間もないころでした。腰痛という二文字であらわされる症状が、筋肉や骨といった物理的・機械的なメカニズムだけでなく、広汎な文化的・社会的・心理学的な問題を扱わなければ理解できないことはわかっているつもりでしたが、この本を読むとそれがいかに大変なことか実感できました。

 

 夏樹静子さんは著名な作家で、若いころからたくさんの推理小説を書き、作品の中にはテレビドラマになったものもたくさんあります。わたし自身はこの本を読むまで作品を拝読したことがなかったのですが、ち密に正確に、そして客観的に事実を書き連ねていくスタイルに感心しました。

 

 と同時に、あまりにもち密すぎて、このスタイルで大量の作品を生み出すのはきっと大変だろうな、疲れそうだなとも感じたのを覚えています。

 

 ある日はっきりしたきっかけもなく腰痛が出てきてしだいに強くなり、ついには椅子に座ることができなくなって寝たまま原稿を書いたり、レストランに特別な寝椅子を持参して会食をしたりします。あちこちのドクターにかかるもはっきりした原因はわからず、治療の効果もはっきりしません。全国津々浦々のさまざまな鍼灸院や治療院を訪ねますが、やはり改善の糸口は見つかりませんでした。

 

 何かすごい治療法があってその治療を受ければぐんぐん良くなる。こういった話を期待してこの本を読むとがっかりするかもしれません。しかし非常に理知的でエネルギッシュな著者が、わらをもつかむ思いで治療を求める姿にどきどきして読み進みました。

 

 そして、やっと最後に夏樹さんの腰痛は消えるのですが、その方法は薬でも注射でもなく、マッサージその他の身体的治療でもありません。詳細はぜひ直接読んでいただければと思います。

 

 読み返して思うのは、お話の始めのほうで、ドクターや治療家のことばの中にもいい指摘がみつかるのです。かなり本質をついたアドバイスをしているのですが、ことばを受け入れられるかどうかは患者さん(夏樹さん)がその言葉を受け入れられる準備状態になっているかどうかで決まるなのだなと思いました。

 

 これは診療の現場でも痛切に感じていることです。むかしドリフターズの「8時だよ!全員集合」(ふるい!)で「宿題やれよ!風呂入れよ!」と言われてもピンとこなかったように(あるいは学校の先生に勉強しろと言われてもピンとこなかったように)、ことばが響くかどうかは場と状況によります。夏樹さんのように理知的で詰将棋のようにことを運ぶ人にしてみれば、いきなりあやふやな説明に納得することはできません。思いつく限りの可能性を自ら試して検証することで、初めて残された可能性に耳を傾けることができたのでしょう。

 

 腰痛は難しいです。患者さん一人ひとりで対応がちがってきますから、いまでも毎日が手探りです。

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