変革への旅程
私自身は変化するのをとても苦手としていて、できればこのまま何も変えたくないと思っているほうだ。だからそうする人たちの気持ちは痛いほどわかる。
だから何を読もうとも、何を言われようとも、あなたが本気で変えたいと思わない限り実際には何もしないことになるのだ。
ランニングの魅力の一つは、走っている間は浮世の義理やストレスを忘れて、走りに没頭し、心を自由に遊ばせられる時間になることだ。
対照的に、足の運び、腕の振りや呼吸などからだのすみずみにまで神経を行き渡らせてモニターしつつ走るとき、心は一時も休まずに働き続ける。
じつはランニング変革の道は、このどちらにも極端に陥らない真ん中の道のりなのだ。一生懸命にならずとも、体のバランスがとれてくるとすべてがうまく収まってくる。
ネパールのあるグルは「悟りに達するには5年かかる」と言った。聞いた人が「では一生懸命修行したら、何年で悟りを得られるでしょう?」と聞いた。グルの答えは、「10年かかる」だった。
だが今の人たちはすぐ結果を欲しがる。しかしランニングフォームを変えていくことには、必ず時間がかかると覚悟しよう。
またフォームをわずかでも今よりも改善しようとすると、はじめのうちはかえってきつく感じるはずである。慣れ親しんだ動きからはなれると、それなりにエネルギーを節約できる動き方から外れてしまうためだ。
40代の頃、それまでの無理がたたり、身体中にガタがきた時期があった。そこで真剣に筋トレやフォーム改善に取り組み、自分の体が以前に比べ強くなったことを実感できるようになった。そのとき、(もっと早い時期にこれができていたらなあ)と思ったものだ。
それに体を変える練習は楽しくない。股関節のストレッチはつまらないし、休みの日の朝に長距離走をしたり、400メートルのインターバル走を繰り返すのもつらいばかりで面白くはない。
あるコーチが言うように、パフォーマンスを改善したいって?OK!だったら練習だ。それが真実なのだ。
ストレッチやドリルは退屈かもしれないが、それを歯磨きのように毎日のルーティンにしてしまおう。歯を磨かないと気持ち悪く感じるように、それをやらないと気が収まらないように習慣化しよう。
あたらしい骨盤や肩の位置、アップライトな姿勢などもはじめは慣れないとしても、慣れてしまえば快適になってくる。
また怪我について、それもまた人生の一部だと考え、それがあるから体を変え、さらに強靭な体に変わっていくのだと考えてみよう。
まず、5分でいいから今までの練習に何かを加えてみる。何か小さなことを加えてみる。そしてそれに慣れたらさらに何かを加えてみる。これを続けていくと、ある時点ではっとわかる瞬間が出てくるのだ。
またあたらしい要素を含め、すべてを流れるような一連のルーティンにしてしまうのも手だ。こうすれば、いちいち考えることなしにつまらなかったり辛く感じる練習を組み入れることができる。
私たちはランニングだけで暮らしているわけではなく、仕事や家庭などそれ以上に時間がかかり大事なことを抱えていることも忘れないようにしよう。練習する時間が十分に確保できないなら、生活のちょっとした隙間にプチ・トレーニングを混ぜてしまうのもいい。
- 歯磨きをしながら片足立ち
- 片足立ちで靴下を履く
- コーヒーを飲みながらスクアット
- 犬と散歩中でん筋を意識する
- デスクワーク中にふくらはぎの筋トレ
- 床のものを拾うときはスクアット などなど