アーサー・リディアード
世の中にまったく新しいコンセプトを生み出した人たちについて調べると、1920~30年代に生まれた人が多いのに驚きます。世界的には第一次世界大戦後から大恐慌の時期、日本では関東大震災から大正時代くらいで、それもニューヨークやパリのような世界の中心地でなく片田舎で生まれ育った人たちが多かったようです。ココ・シャネルしかり、ピカソしかり、ニュージーランドのオークランドで生まれたアーサー・リディアードもそんな一人です。
長距離走の世界に革新的なトレーニング法を生み出し、ランニングでは世界標準のトレーニングシステムになっていきます。また、心疾患の既往がある人たちを集めてランニングを指導し、定期的な有酸素運動が健康に効果があることを証明して世界的なジョギングブームの先駆けを作りました。
さて少年のころから走るのが大好きだったアーサーですが、生活は楽でなく、靴工場と牛乳配達を掛け持ちして家族を養っていました。そして自分自身のからだを使って試行錯誤を繰り返しながら新しいトレーニング理論を考え、ランニングコーチとしても働き始めます。
リディアードの名を一躍高めたのは弟子であるマレー・ハルバーグの活躍です。1960年のローマオリンピック5000メートルのゴールドメダリストですが、わたしは職業柄この人に強い関心を持っています。
ハルバーグはラグビーの選手でしたが、試合中の事故で左腕の腕神経損傷を起こしてしまいました。肩に強い衝撃がかかったのか、強く腕をひっぱられたのか詳細はわからないのですが、くびから腕につながる神経が引きちぎれて、治療不可能な左うでのマヒを起こしたのです。
ところがハルバーグは「ラグビーはできなくなったが、走ることはできる!」と、リディアードに助けを求めます。そしてニュージーランドを超えて世界で活躍する選手となり、オリンピックで金メダルを獲得するのです。今でこそパラリンピックも盛んになりましたが、ハルバーグはハンディキャップをものともせず、オリンピックで優勝したのだからすごい話です。ローマオリンピックでの動画が残っています。
リディアードは幾多の名選手を育て、海外でも指導し、自分のトレーニングシステムを世界に広めていきました。マラソンで活躍した瀬古選手を指導したことで有名な中村清監督も彼に教えを受けた一人です。
ではリディアードのトレーニングとはどういうものなのでしょうか?
私なりにまとめてみます。
- まず有酸素能力(=持久力)を高めるために、ゆっくりとしたペースで長く運動する時間を作る
- つぎに坂を走ったり、スピードトレーニングやドリルをやって、速く、はずむような走りができる体に持っていく
- きつい練習の日(ハード)と楽な練習の日(イージー)を交互に設けて、からだの回復を考えつつも、パフォーマンスを上げるために重点的に練習する日を作る
- 体ができてきたら、インターバル走などきつめのトレーニングを行って、ぎりぎりの限界で走るスピードを鍛えていく
- いよいよ本番が近づいたら体を休めつつ、スピードを研ぎ澄ませる練習を行う
こんな感じでしょうか。もっと知りたい人は日本語の本がありますから、ぜひ読んでみてください。
リディアードのランニング・バイブル