先ほど述べましたように、マニュアルメディシンにおける診察手順は、基本的に通常の診断学と同じです。しかし、マニュアルメディシンならではの診断技術や観察方法がありますのでその一端を述べたいと思います。
問 診
マニュアルメディシンにおいても、問診は重要です。問診の甚本は一般的な医学と同一ですが、とくに仕事や日常生活、あるいはスポーツなど、体の使い方に関する質問は詳細をきわめる必要があります。仕事がデスクワークであれば、勤務時間、1週間の休日(休日出勤の有無)、パソコンの使用頻度(マウスかキーボードか)、モニターと目線の位置関係、いすと机の高さ、座っている時の姿勢、足を組むことがあるか否か、席を立つ頻度(そのとき、体を動かしているか?)、立つときの動作で体をひねったり、すわったたまま体を捻って上司や同僚と話すくせはないかといった体の使い方に関するもろもろを聞きます。
マニュアルメディシンがおもに治療の対象とする機能的障害は、日常生活の中にある、患者さん自身は認識していないような体の使い方の癖や不適当な使用法が原因であったり、わずかな局所的ストレス(たとえばキーボードを打つ、マウスを使うなど)が積み重なった結果として、症状が出現してきます。クリニックの中で、どんなにすばらしい治療を行ったとしても、障害を生じた理由を明らかにすることなくしては一過性の改善をえるだけで終わってしまいます。原因がわかれば、改善・予防対策としての生活指導やエクササイズの処方を行うことが可能になります。
静的な観察
座位· 立位での姿勢・体形を見ます。太っているかやせているか、筋肉質であるのか、手足のプロポーションはどうなっているのかをみます。つぎに左右のバランスを比較します。肩のまわりであげてみると、肩甲骨の位聞(内外転、上方・下方回転、挙上・下降、前方・後方回転)、肩甲骨と上腕骨の配置、上腕骨の回旋、肩鎖関節·胸鎖周節の位置、第1肋椎関節の高さの違い、胸郭の呼吸時の動き、頚椎の側弯の有無、胸鎖乳突筋や斜角筋群のアウトラインの左右差などをみます。肋骨の運動や筋の緊張度をみるためには軽く手をあててみます。たとえば肩から上肢にかけての痛みやしびれを高える患者さんで、同じ側の肩甲骨の の前方回転、同側への上部胸椎の側屈と第1肋椎関節の下方変位、斜角筋群の緊張冗進、上腕骨の内旋がみつかったとすると、胸郭出口部で腕神経叢に圧迫や牽引が加わって症状がでてきたのではないか、というふうに考えるわけです。
後ほど述べるように、観察の結果、左右の形 態のちがいや動きの制限がみつかったからといって、すぐに異常と判断することはできませんが、ときには静的な観察だけでもおおまかな診断か可能になることも多いのです。
変形と運動制限
マニュアルメディシンの世界で古くから論議さ れ、現在でも混乱することが多いのは、変形(とくに脊椎の)をいかに解釈するかということです。ここであらかじめ確認しておきたいのは、この場合の変形という表現は、ひとつひとつの骨の変形 ではなくて、腰椎なら腰椎全体のあるまとまった部位をみてのものだということです。というのは、病気やけがによってひとつの骨が変形したり、関節が曲がったまま両端の骨が一つにつながってしまう(骨性強直といいます)ことがありますが、この場合の変形は器買的障害ですので、対象から除外します。したがって、ここで変形という場合は、骨間の関節で運動制限が生じたため、結果として骨間の位置関係がもともとの状態に比べて変化しており、静止時にそれを確認できるものと考えていただきたいと思います。
これをもう少しわかりやすく説明してみます。 みなさんがイメージしやすいところ、たとえば肘関節をモデルにして考えてみましょう。肘関節の外傷(打撲,捻挫・脱臼など)の急性期が過ぎて、関節に可動域制限が残ったとします。 伸展に 30 度の制限があった場合、肘を伸ばしたときに(すなわち安静時に)腕全体は曲がってみえます。すなわち腕の変形が残っていることになります。受傷後それほど時間が経過しておらず、関節周囲の搬痕組織が未熟な状態であれば、ストレッチやモビリゼーションにより伸展制限を改善していくこ とで、可動域制限も運動時の痛みも治療することができます。しかし、何らかの理由で搬痕組織が完全に成熟するまで放骰され、何年も経過した場合は、ストレッチやモビリゼーションで可動域が改善することもないが、動かせる範囲内の関節運動をおこなうかぎり、痛みも生じません。これを無理に動かそうとしても痛みや炎症を生じるだけですし、患者さんもそれを望まないはずです。可動域制限が日常の生活に困るほど強い場合は、すでに手技治療の守備範囲を超えた状態ですから、手術的治療が必要となります。
このように、マニュアルメディシンの治療で働きかけることができる組織は軟部組織(靱帯・関節包・筋肉など)のみですし、あくまでも患者さんの症状を改稗するのが目的ですから、いくら見た目の変形が明らかであっても、そこに実際の症状を説明できる理由が見‘りたらないかぎり、治療の対象にはなりません。というよりも、すべきではありません。無理に行えば、患者さんに無用の苦痛を与えるだけとなります。したがって、ある部位に変形が見つかったときに、それが患者さんの症状に本当に関わっているのかを正しく判断する必要があるわけです。
また、レントゲン写真で変形が認められない場合でも、実際にはある部位が症状発生の理由になっている場合もあります。典型例が、急性腰痛症のケースで、レントゲン写真で異常が見られなくても、ある脊椎分節(たとえばL4/5)で運動制限がみつかることがあります。
手のつき指を例にして考えてみましよう。つき指のたいていのケースでは、レントゲン写真で異常がみつかりません。しかし、指を目で見て触ってみると、どの指関節が腫れて熱を持っているのがわかるはずです。指を他動的に動かそうとすれば、痛みをともないます。このとき、レントゲン写真を見ただけで、「あなたの指はなんともない」というお医者さんはいないでしょう。ところが、腰椎の椎間関節が急性炎症を生じた結果として腰痛が生じたときに各脊椎間の動きを調べることなく、レントゲン写真たけて診断を下すことは多く行われています。つき指は、1週間もすればどんどん指を動かして拘縮を予防しなくてはいけませんが、椎間関節障害も急性期を過ぎれば動かしていったほうが腰痛の改善は早いのです。拘縮を改善するのは、自他動のストレッチ、モビリゼーションです。拘縮を放置すれば、 可動域制限(変形)も痛み(運動時痛)も残ります。しかし、適切な診断のないまま、漫然と安静の指示やコルセットあるいは牽引療法で治療を受けている患者さんが少なからずいるのではないでしょうか。
このように考えていくと、運動器の障害を正確に診断するためには、体の各構造を熟知し、異常な動きと正常な動きの違いを判別するスキルを必要とすることが理解していただけたことと思います。