お医者さんの専門は内科、外科、小児科、産婦人科などに分かれていますが、最近ではさらに細かく分かれて聞きなれない専門がどんどんできてきました。医療がどんどん精密になり、一人のお医者さんがすべてをカバーしきれなくなったためですが、それがいいこともあればこれは?と思うこともあります。今回は若かったころの経験をもとに少しだけお話ししましょう。
1 もとは全部一つだった
朝9時から夜6時まで昼休みを除き、びっちり授業。これが基本で、実験や実習があれば完了するまでなので、夜8時過ぎまでかかることも。夏休み冬休みは小学生なみ。それも補習や追試で削られます。解剖実習の追い込み時は徹夜する猛者もいました。これが6年間続くのが当時の医学生の生活で、今はもっときつくなっているはずです。
とにかく覚えることが多いのが医学部の特徴です。知識はどんどん増えるのに、人間の能力は以前のままです。むかしは一人のドクターがあらゆる病気を診ていたのが、今の高い医療水準をたもつためには分担が必要になってきたのです。
2 話を聴く
いまとちがって研修医はほぼ無給、そのため夜間救急のバイト代で暮らしていました。診療技術はおぼつかなく、できる検査も限られひやひやの毎日で、腹痛や胸の痛みを訴える患者さんが来ると大変、あわてて当直室で医学書のページをめくります。
そんな中でひとつ学んだことがありました。よく聴くと患者さんの話にヒントが隠れているのです。だから外来では話を注意深く聴くことを心がけました。
ある日背中の痛みを繰り返し訴える年配の女性の話を聴いているとき、身動きに関係なく痛みが出ることに気がつきました。内科に相談するも戻され、また相談しては戻され…最後に膵臓の病気が見つかりました。
腰下肢痛で診るもじつは大動脈瘤、股関節痛の原因が特殊な腸ヘルニアだったなど、問診・触診で運よく診断できた経験が続いたので、しだいに診断学にのめりこむようになりました。なかでも痛みを扱うぶ厚い医学書に出会ったことが大きな転機となりました。
3 びっくりの経験
外科医のトレーニングや研究とは別に、触診や手を使う診断治療を扱う本を少しづつ読み始めました。そこには一般の医学書とはちょっとちがう世界が広がっていて、ほんとにこんなことがあるのかな?と思うような経験例が多数書かれていて、半信半疑ながら興味をもって読み込んでいきました。
そんなある日、大学病院の外来に内科入院中の患者さんが廻ってきて、たまたま私が診ることになりました。右のわき腹痛で半年の間入院している方でしたが、当時考えられる検査をすべて行っても痛みの原因が突き止められませんでした。そこでほとんど期待せずにまあ整形外科にも診させておこうということになったようです。
よくわからないがとにかく触診が大事!と思った私が胸のある場所を軽く押すと、患者さんが「痛い」と言います。そこでもう一回押したとたん、ぼこん!と衝撃がして患者さんが「ぎゃ!」と叫びました・・・意図せずに行ったこの一押しで患者さんの痛みは全快し、内科のドクターも私もよくわからないまま患者さんは無事退院しました。
4 医療のすきま
これは決定的な出来事で、難しい手術をこなす有名なドクターになるという野心がなくもなかったのが、地味にこつこつ患者さんを診る今のスタイルを求めていくきっかけとなりました。テレビドラマに出るようなすごい病気やけがを扱う世界は(それほど劇的ではないにせよ)実際に存在します。しかし、一般の外来では、有名な病気と病気のはざまに名前もつかない小さな故障があって、意外な症状が現れることも知ってもらいたいのです。
そして小さな故障は小さいだけにみつけにくいです。命にかかわる故障ではありませんが、症状から深刻な病気と見誤ることがあります。とくに痛みの診たてには小さな故障が混じっていて、診断が混乱しがちです。
こういう小さな故障は医師の専門の中心ではなく隅っこのほうにありますから、どうしても注目されにくく、ときに忘れられがちです。たとえば整形外科では骨折、スポーツ医学、骨粗しょう症や骨腫瘍は専門の中心ですが、病名のつきづらい腰痛や肩こりははじっこのほうと言えるでしょう。顎関節痛にいたってはどの科のお医者さんも専門と思っていない節があります。同じことが医療のすきまのあちこちで起きているかもしれません。すきまの診療はたいへん地味なのですが、やってみると結構おもしろく、それなりに技量も必要です。もっと多くのドクターに関心を持ってもらいたい。そう願っています。