数十年ぶりの強さの台風で家にこもっているので、ちょっとむずかしいことを書いてみましょう。表題のように余計な力を抜くことはとても大事です。うまく力が抜けているだけで痛みが消えてしまうこともあり、そもそも体が故障しにくいのです。でも、力を抜くということはほんとうに難しい。私の体験談を交えてお話しします。
1 「力をぬく」ことは脱力ではない。
脱力発作という特殊なてんかんでは崩れ落ちるように倒れてしまうのですが、普通の人はここまで脱力することはできません。神経系には姿勢や動作をコントロールしている無数のシステムが働いています。車を運転する人はハンドルとアクセル・ブレーキだけ意識していても、現在のコンピューター化した車では複雑な制御が行われているのと同じです。
すなわち「力を抜く」とは、なめらかにハンドルを回し、絶妙のタイミングでアクセル・ブレーキを踏むことと考えるとわかりやすいと思います。最高の動きをするためには不必要な筋肉の緊張を取り去るが、なおかつスムーズに力を抜いたり入れたりすることが「力を抜く」意味だと考えてください。
2 技を磨くということ
私の経験をお話しします。あるとき何気なくネットを見ていると、一輪車のブログを見つけました。50歳を超えると一輪車に乗れないと書いてあったので、「?」と思ってさらに調べると70歳で乗れるようになった人もいることがわかりました。
それならということで一輪車を購入したのですが、いざやってみるとサドルにまたがるのも大変で、手すりに両手で必死につかまり、なんとかペダルに足をかけたものの前後左右にぐらぐら動いて手を放すどころではありませんでした。そんな状態から始めて雨の日も風の日も手すり磨きをつづけたある日のことです。手を放してペダルを回すことがほんの2,3メートルだけどできました!そこからだんだんと距離が延び、電柱一本ぐらいの距離は走れるようになったものの、今度は息が上がって続きません。疲れてそれ以上は進めませんでした。
そんなある日、ふっと体が軽くなる感じがして、息が上がらずに50メートルくらい走れました。そこからは順調、長い距離も平気、楽に曲がり、坂を上り下り、軽くジャンプもできるようになったのです。ここまで来てやっとわかったのは、それまではがちがちに力が入っていて、ずっと息をつめた状態だったのですね。最初からリラックスしていればもっと早くから乗れたのに…と思いましたが、あとの祭り。いきなり力を抜くことはできないようです。
最近のことです。競歩を数年前から続けて最低限の動きはできるようになったものの、速く歩くと息が上がって続きません。ある日、ユーチューブを見ていたら競歩しながら笑ったり話をしている人がいるぞ!と気付きました。そんなことができるのなら、もっと楽をしてもいいんじゃないか!そう思ったのです。じゃあタコのようにやわらかくなって、お尻をフリフリ歩いてやろう。思いっきりくねくね変な格好で歩いてみました。あれ?この感じ、これなら長く歩けそう。街のウインドウに映る姿は意外にも悪くない。競歩っぽい。この感じがわかって、かなり歩くのが楽になってきました。
3 力を抜くじゃまをするものと対策
自分の経験、スポーツ医学やボディワークの知識から力を抜くさまたげになることをあげてみました。
・ からだができていない 一輪車になかなか乗れなかったのは、体幹の筋力が弱かったことが一番の理由です。私たちの筋力はごく普通の生活をしているだけで落ちていき、とくに体幹の衰えは著しいです。年をとったら筋トレは必要です。
・ 早く結果を出そうとする はじめから速く歩こうとしたのがいけませんでした。じっくり歩型を身につけるよう教わったのに、忍耐心がなさすぎです。こういった余裕のなさも力みの原因になります。またそれぞれのスポーツで筋肉の使い方もちがいます。筋力だけでなく神経系を慣らしていく練習が必要です。
・ 姿勢メーターの目盛りが狂う 一輪車・競歩ともに姿勢はまっすぐがいいのに、実際は背中がねこぜ気味になっていたようです。からだを積極的に動かさなくなると、位置感覚の目盛りが少しづつ狂ってきます。まっすぐ立っているつもりでねこぜやそり腰になっている人は珍しくありません。鏡やビデオを利用して修正しましょう。
・ 人の目が気になる 気にしないようでも気になっているものです。対策としては、まずあまり人気のないところで練習し、上手にできるようになったら人の目に触れて場数をこなすといったところでしょうか。競歩の場合、ランニングマシン上で目をつぶると歩きに集中できました。ほかの競技でも基礎トレやシャドウ・トレーニングのときに応用できそうです。
・ 思い込みを消す なんとなくこうあるべきだと決めつけていることがあるはずです。ためしに真逆のことをやってみるのも手です。競歩でもがんばって歩くという思い込みを消すことが必要だったのです。