(アーカイブ;2003年3月号の抜粋です)
診察室でよく聞かれるものに、「これって遺伝が関係あるのでしょうか?」「母親もそうだったんですけれど、やっぱり遺伝でしょうか?」といった質問があります。「遺伝です!」なんていわれたら二度となおらない難病のようなもの、宿命としてせおっていかなければならない試練といったイメージをいだきがちです。
いそがしい診察の合間には、このあたりのことをていねいに説明する時間がありませんので、ここでゆっくりとお話してみましょう。
「遺伝ってこわい感じがするんですが。」
「いえいえ、あんまりこわがることはないんですよ。自分の親からある程度うけつぐ体質とでもいったらいいんじゃないでしょうか。」
「だったら病気の体質もうけつぐってことじゃない?」
「たしかに世の中にはいろんな病気があって、なかにはほんとうに遺伝性の病気というのもあるにはあるんだけれど、とても珍しいことだし、そういった病気を専門に研究したり治療するお医者さんがいっぱいいます。だから、きょうはだれでもなるようなあたりまえの病気についてお話しするつもりなんだ。」
「なんか、ずるっぽくない?」
「でも、そこがみんなが知りたいところだと思うわけです。たとえば、おばあちゃんがリュウマチでこまっていたんだけど、あたしもなるのかな?とか、O脚って遺伝するのかとか、親子代々肩こり症なのはなぜとか、そんなことですね。」
「わたしも肩こり症なんですけれど、肩こりが遺伝するんですか?」
「肩こり症になりやすい一家というのは、あるみたいですね。でも遺伝ではなくて、代々うけつぐくせっていうか、身のこなしというのがあるんですね。肩のこりやすい人は、肩がこるような体の使い方をしているんです。こどもは知らず知らずのうちに親のしぐさをまねて大きくなりますから、肩のこりやすい使い方もまねてしまうわけです。」
「ふーん。」
「こういうのをミームと呼ぶんです。イギリスのえらい生物学者が言い出したことばですけれど、体質が遺伝するのと同じように、人々がうけつぐ考え方とかみぶり、しぐさ、といったものも、親から子へと代々うけつがれていって、まるで遺伝子のようなはたらきをするから、これをミームと呼んで、遺伝子と同じように考えるということです。」
「じゃあ、私の子どももミームをうけつぐってこと?」
「むかしから、親の背を見て子は育つ、っていうじゃないですか。まちを歩いている親子連れを見ていると、なんとなく歩きっぷりも似ていると思いませんか。だから、知らず知らずのうちに、自分のこどもに肩のこりやすいくせをうけつがせるってのはあるかもしれませんね。」
「O脚はどうなんですか?」
「O脚っていわれているものは大部分が心配のないものなんですが、体つきがにるという意味では、多少は遺伝の傾向があるかもしれません。でも、それ以上に、ふだんの歩き方とかすわりかたで影響を受けている面が強いと思いますよ。」
「O脚をなおすとかなおしたとかの話を聞きますが、腰から足にかけての姿勢とか力のいれぐあいでずいぶん見た目が変わるものなんです。たとえばももの外側の筋肉がちぢまっていると立っているときにはO脚が強く見えます。じょうずな治療師はこのへんをうまくなおしているんじゃないかなあ。」
「じゃあ、リウマチは?」
「ちょっと前までは、リウマチは遺伝疾患じゃないよと患者さんに説明していました。けれども最近の遺伝学の進歩により、リウマチのような病気になりやすい素質は遺伝することがあることがわかってきたんだ。だたし、よーく聞いておいてもらいたいのは、『病気になる素質』ではなくて、『病気になりやすい素質』だということなんですね。素質だけでなくて、ほかにいろいろなことが加わって病気になるってこと。住んでいる環境や食べ物、あるいは心理的な問題まで関係するかもしれない。なかには、ある種のウイルスがリウマチの発病に関係があると考えている学者もいるくらいです。」
「では、親や兄弟がリウマチになったからといってそんなに悲観する必要はないのね。」
「そのとおり。今の遺伝学の知識だってまだまだ不完全なんですから、全部うのみにする必要はありません。それに遺伝のこと気にしたって、自分で何かができるわけではないんだから、心配するだけ損だし、からだにも悪いでしょう。あたりまえだけど、バランスのとれた食事とじゅうぶんな睡眠時間、適度な運動が健康の秘けつです。ゆっくり歩いて外の景色を見たり、季節の移ろいを感じるだけでも気持ちが少し元気になりますよ。」
「心配しすぎはよくないってことね。」